いつお迎えが来たとしても、健康の事を考え続けていく決心ができた
仲間が亡くなった。
もうしばらく会っていなかったが、本当にひょうきんな奴で、周りを笑顔にすることが得意だった。
すごく優秀で、仕事もできた。
残念なことに、不慮の病気で亡くなってしまった。
まだまだこれからというときに、本当に無念だったにちがいない。
天国で安らかに過ごしてもらいたい。
心から冥福をお祈りする。
「太く短く生きるために、その日を精一杯生きる」っていう人いるけど、人生の長短って何なんだろう。
例えば40歳で亡くなったとする。
本当に自分がやりたいことをやり切って亡くなったらなら、それは太く短いというのか?
そうだとすると、自分がやりたいことをやり切れず亡くなった時は、それは短いと言わず何というのか。
そもそも人生の長短って、何なんだ?どうだったら長くて、どうだったら短いの?
どんなに考えても、全く答えが出てこない。
答えは出てこないけど、自分の体の健康の事を考えて生きていくことは間違えていないと確信している。思っている以上に早く死んでしまうかもしれないけど、そうであっても健康の事を考えて生きていくことは間違えていない。
だって、健康の事を考えて生活していたのに、それでも病気になったらそれは自分の運命だったってあきらめがつくから。
逆に何も考えずに生きていたなら、きっと後悔しまくると思う。何でもっと健康の事を考えて生活しなかったんだ、って。
必要以上に死を恐れ、体に悪いからといろんなものを排除していくことはしないけど、やっぱり健康の事を考えて生活していくことは変わらない。
せっかく人として生まれたならば、少しでも長くこの世で楽しいことに触れていたいから。嬉しい瞬間に立ち会いたいから。
楽しい、嬉しいという感覚を得るためには、健康である必要があるから、これからも自身の健康についてはずっと追及していく。
お迎えが来る、その日まで。
最後に、あなたと楽しい時間を少しでも共有できたことに感謝しています。
しばらく先になると思いますが、同期のみんなが天国で集まる事があったら、あの時の様に円卓を囲みバカ騒ぎをし、あなたが好きだった「ファンタスティポ」を歌いまくりましょう。
いいお店、見つけておいてください。お疲れさまでした。