悲しみのどん底から見えた光は、人生の道しるべだった
かつての仲間の死を知ってから1日たったけど、その悲しみから抜けだせず、寝ても覚めても悲しみが私を覆いつくし、朝から何もやる気が起きません。
でも、きっと家にいても何にもやる気にならないだろうと思い、さっさと職場に行く事にしました。
気分が乗らないかもしれない、ミスするかもしれない、はかどらないかもしれない。それでも、職場に行って仕事をすることにしました。
今日も私の職場では、上司からの無茶ブリがバンバンきました。「あと1ヶ月でどないせい、っちゅーねん!!」というような、とんでもない糞オーダーも飛んできます。
そんな糞オーダーに対し、何とか知恵をひねり出し現実可能なところまで考えたりしていると、不思議と私を覆っていた悲しみが無くなっていることに気づきました。
というより、職場で仕事をしているときは、何に対して悲しんでいたのか分からなくなっていた、というのが正しいかもしれません。
それくらい仕事に没頭していたのだと思います。
その時、気付きました。
仕事って、お金を稼ぐだけのツールではないってことを。
仕事は、自分の身の回りで起きた辛いことを忘れさせてれるツールなんだと。
そして、考えました。
歳を取ってから、仕事が無くなってしまったらどうなってしまうのだろう、と。
歳を取れば、人が亡くなることは今よりもっと増えてくるかもしれない。
亡くなる人も、もっと身近な人になるだろう。
そうなったとき、仕事がなかったら自分はどうなってしまうのだろう。
そうなったら、きっと私は人生に絶望したり、悲しみの底に沈んだ老後を送ることになると思います。
そんな老後、ごめんです。
明るく楽しい老後を送りたい。
若い頃にできなかったことをしてみたい。
せっかく人として生きたなら、少しでも長くいい時間を過ごしたい。
最高の人生を全うし、笑顔でこの世を去っていきたい。
だから私は、周りのみんなから「もう迷惑だから働くのはやめてくれ!」って言われるまで働くことに決めました。
仕事って、やっているときはきつかったり辛かったり、辞めたくなったりしますよね?
少なくとも私はそう感じています。辞められるなら、一刻も早く辞めたい。
でも、私たちは、仕事に助けられることもあるんだと思います。
お金の事だけじゃなくて、心の部分でも仕事に助けられることってあると思うんです。
皆さんはどう考えますか?
「ブラック企業で働いてみろ!そんなこと言ってらんねぇわ!!(怒)」
「仕事が心をいやす?寝言は寝て言え!」
そんな意見も聞こえてきそうです。
仲間の訃報を受け、悲しみを感じ、その上で仕事をしたらこんなことを考えた、って話でした。